小林真純プロフィール

小林真純(こばやしますみ)

 

ファンジョイアカデミ―代表/心理カウンセラー/セミナー講師

 

1975年 7月生まれ千葉県出身

 

ファンジョイアカデミ― 小林真純オフィシャルブログ

1975年 千葉県千葉市生まれ。

 

心からひらく女性の生き方×ビジネスプロデュース塾 代表。

小さい頃から、みんなそれぞれに地球を持っているという感覚があった幼少期。
母の脳腫瘍という病気をきっかけに、世の中でいわれる幸せというものに疑問を持ち始める。

また自身の産後鬱、人生の行き詰まりをきっかけに、スピリチュアリズム、自己啓発、心理カウンセリングと出会い、幸せとは心をひらくことによって、初めて見えてくるものなのだと実感する。

 

『この世界を創っているのは自分自身である。』

 

様々な体験によって、このことを実感した今、心の持つ可能性を多くの女性たちに伝えたいとファンジョイアカデミーを設立。


 女性たちが本来持つ『まるくて、温かくて、やわらかい』という輝きに気づき、自身から湧き上がるワクワクやときめきを大切に生きることで、自分らしい道をひらいていける女性たちを増やしていきたい!というワクワクとミッションのもと、活動している。

 

 自分の中にある宝物に気づいて生きる土台を作る『夢を叶えるワクワクトレジャープログラム』をはじめ、ひらく女性のための『ビジネスプロデュース塾』などが主な活動である。

 

 

あなたは今、どんな人生を生きていますか?

 

そして、これからの人生をどのように創っていきたいですか?

 

ファンジョイアカデミ―は、肚から湧き出るようなワクワクやときめきを大切にしています。

自力だけの人生ではなく、他力に応援されるような幸せな人生を創っていきましょう。


 >>ファンジョイアカデミ―が大切にしていること

 

小林真純の歴史

1975年7月。
 千葉で税理士事務所を営む父と専業主婦の母のもと、4人兄妹の長女として生まれました。私はどちらかというと「かわいい」と言われるより、「面白い」と言われるタイプ。家族や親戚が集まる席では、必ずみんなを喜ばせようと笑わせることに生きがいを感じていました。

私立の小学校に通っていた私は、
 当たり前のように、私立中学の受験のため猛勉強をする毎日でした。
 「何のために頑張っているのか」考える余裕はみじんもありませんでした。

そんな私に1つ目の転機が訪れました。
友人のお姉さんが留学しているフランスのアルザスに行ってみないかと母に提案されたのです。その話は、中学・高校の6年間、親元から離れ、寮生活をしながら勉強していくというものでした。
 6年間親元から離れること。
 日本を離れて、見たこともない国で初めて会う人たちと一緒に生活していくこと。
 想像すれば想像するほど、いろいろな不安が押し寄せました。

でも、心の奥底にある 『行ってみたい。挑戦してみたい。』
という一握りの希望が、私に行くという決断をさせました。
 何の疑いもなく受験に向けて勉強していた私が、
 初めて自分の人生に一つの決断をした瞬間でした。

 

 中学1年でフランスへ単身留学。
 入学式に母と二人で訪れたアルザス。

 


見渡す限りブドウ畑が広がり、街にはおもちゃ箱をひっくり返したような家々が並んでいました。


そしてその日から、初めて会う仲間と共に、寮での生活が始まりました。
 親から離れて不安で押しつぶされそうな時は、毎晩のように

『日本に帰りたいよ~!!』
 『お母さ~ん!!』

と肩を寄せ合っては泣いていました。

そんな幼かった私たちも衣食住を共にし、たくさんのケンカをしながら、次第に家族のような絆を持つようになっていきました。



高校を卒業し、日本へ帰国。
 経営にとても興味を持っていた私は、成城大学経済学部経営学科に入学。
しかし、日本での女子大生気分を満喫していた大学2年のころです。
 母に異変が起きました。

頭が痛くなることが多く、視野が狭くなってきたとのことでした。
 検査結果は、髄膜腫という脳腫瘍でした。

子供たちを集め、母は

『お母さんね、実は脳腫瘍という病気になっちゃったの。
それで、もうすぐ入院しなきゃならないの。ごめんね。』

『お母さんが入院している間、あなたたちにはたくさん迷惑かけちゃうね。
 特に真純は長女だから、お母さんの代わりをしてもらわなくちゃいけないね。
お母さんが帰ってくるまで、みんなで協力しながら、力を合わせて生きていくんだよ。』

その時、一番末の妹は12歳の小学生。
 私が泣いたら妹たちが不安になる。

そんな思いで、ずっと気を張っていました。
だけど、大学からの帰り道
 夕食の買い物をしたスーパーの袋に顔を隠し、一人でよく泣いていました。
 検査入院をしていた母から、手術する日が決まったと連絡がありました。


しかし、手術3日前のことです。
アメリカから帰国したばかりの脳外科のドクターが母の症状を見てくれました。

「この患者は手術をすれば半身不随の後遺症が残る。
それをもう一度伝えたうえで、手術をするかどうか選択させた方がいい。」

とアドバイスをくれました。

それを聞いた母は、
 数年前にある方の結婚式でお会いした気功大師の于雷(ゆうれい)先生のことを思い出しました。
そして、手術することを止め、退院したその足で于雷先生の開業する于雷総合気功院を訪ねたのです。


そこから、私たち家族の気功人生が始まりました。


 気功の施術を受け、毎朝気功の練功をする度に、
ヨレヨレだった母の体はみるみる元気になっていきました。
そして脳腫瘍と共存していく道を選んだ母は、
 今までの母よりももっと活き活きと生きているように見えました。
しかし、「気功」が何かもわからない家族は、180度変わってしまった母を不安に思い、なかなか受け入れることができませんでした。どこにでもいる専業主婦だった母が、話すことは気功の話ばかり。私は、自分の道を突き進む母に怒りすら覚え、ケンカばかりする毎日でした。


しかしある日のこと。
 妹が熱を出し、ぐったりしていると、母が手を当てて気を入れました。
すると、ぐったりしていた妹の顔色がピンク色になり、食欲も出てきたのです。

またある時には、
マレーシアの研修旅行に行っていた父が脳梗塞で倒れたと連絡がありました。
そして母は、電話で父の症状を読み取り、翌日にはマレーシアへ駆け付け、父に気功の施術をし、後遺症なく日本へ連れて帰ってきました。


 気功の逸話はまだまだあります。


それまで西洋医学にどっぷり浸かっていた私たちは、
 対処療法で症状を抑えることばかりが治療と思っていました。

しかし、東洋医学では治病求本という考え方が主流です。
 表面に見えている症状は、内臓の気が病んでいることを知らせる大切なメッセージ。
そのメッセージをただの嫌なものとして理解もせず止めてしまえば、根本的な原因を治すことができなくなってしまいます。

例えば、怒ってばかりいるときには、肝の気が整っていないことが多く、
 肝臓の辺りを触ると痛く感じることがあります。また、ふくらはぎが重くだるい時には、疲れによって膀胱系が弱っているということを考えます。

こうして、私たち家族は具合が悪くなると母に気を入れてもらい、回復するということが増えていき、次第に病院いらずな家族になっていきました。


 最初はまったく信じていなかった私も、
 次第に「気」の存在を信じ始めていきました。

 

 

 

【私の転機】

 

母が気功の世界に入って10年が経ったころ。
 私は3歳と5歳の息子を持つ、2児の母になっていました。
 次男を妊娠しているころから、体の不調が続きました。
 一日起きているのがやっとな生活。
また精神の不安定さもあり、人と会うのが怖く、
 自分の思い通りにならない体に苛立ち、子育ての大変さに挫け、泣いたり、怒ってばかりの日々でした。

そんなある日、子供を通して仲良くなったお友達の家に招かれ、
お茶をすることに。
すると、一人のお友達の口からこんな言葉が出ました。

『真純ちゃんのお母さんって、気功やってるんだよね?
 気功ってどんなことするの?みんなでやろうよ!』

この言葉が、私の新たな道の始まりでした。

それまでの私は気功を宗教と勘違いされることが嫌で、
 気功のことをあまり積極的に話したことがありませんでした。

しかしこの言葉で、『ママたちのための気功教室』が始まりました。


  『気』という目に見えないものを初めて感じる反応は様々でした。
 教室が終わった後には、それぞれの体験のシェアがとても楽しい時間でした。

そして私自身も気功の練功をするようになってから、
 体調が次第に良くなっていきました。
 心にも余裕が出てきて、子供たちとも楽しく遊べるような日が増えていきました。

 


気功教室が開講してしばらくした頃。
 一人のお友達が、一冊の本を私に貸してくれました。
それは、後に私の運命を変えることになる1冊の本。


 江原啓之さん著書の
『スピリチュアルな人生に目覚めるために―心に人生の地図を持つ』


 初めて耳にする『スピリチュアル』という言葉でしたが、
とても興味深い内容に何度も何度もくりかえし読み返しました。


それからしばらくして、妹からすごく良い神社があるから行ってみないかと誘われました。
そこは、埼玉のとある山の頂きにありました。
 訪れた人が病気を克服できたなど、奇跡的な体験が数多くあるという神社でした。
 私は初めて子供たちを預け、母と妹と共に旅に出ることになりました。

神社までの山道を登るバスの中から、不思議な現象が始まりました。
 胸の真ん中がメリメリっと音がたつほど痛くなり、
 自分の体が壊れていくような感覚で痛みが走り続けました。
そして境内につくと、不思議と痛みが止まり、
 体がみるみる気で満たされていくのです。
そして鳥居を一歩くぐると、そこに流れている気が一瞬にして変わりました。
 目に見えない存在がある。私が実感として感じた初めての場所でした。


そして翌日には、山頂にある奥宮まで登りました。
 初めて登る山道は想像していたよりもきついものでした。
 前を歩く母たちとの距離もだんだんと離れていきました。


 頂上がどこにあるのかも分からず、足を前に出すことさえ辛くなってきたとき、
ふと見上げた先を歩く母たちを見ながら一つの気づきがありました。



一歩一歩目の前の道に足を踏み出していけば、必ず辿り着ける場所がある。


 人生は山道と同じ。
 山あり谷ありで、頂上がどこか分からず、前に足を出すことさえ辛くなることもある。
ちょっと足を踏み外せば、崖のように落ちてしまうかもしれない。
でもだからといって、引き返すのではなく、
 目の前の道を一歩一歩踏み出していけば、必ず辿り着ける場所がある。


 

母の背中を見上げながら、自分の人生を一つひとつかみしめていくなかで、
ずっと心に抱えていた母へのわだかまりが自然と解けていきました。

母のように、私も自分の信じる道を進もう。

そして私と同じように先が見えず、幸せが何なのか分からず、もがいている人たちにスピリチュアリズムの真理を伝えていこう。

そう心に誓いました。

 


そして、奥宮のある頂上まで登り、そこで瞑想をしながら

『私も母のように、必要としてくださる人たちにスピリチュアリズムを伝えていきたい』と祈りました。

すると、天の向こうの方から観音様の姿が近づいてくるように見え、

『そなたの道は容易い道ではない。それでもやり遂げられるか。』

と聞こえました。

『はい。私はこの道を進みます。』

と強く答えました。

すると、

『では、授けましょう。』

という言葉がこだまするように、観音様の姿も消えていきました。

 


山から下りた私は、母に

『私のこの山での体験を必要としてくださる方に伝えていきたいのです。
 私にスピリチュアリズムを伝えていく場所をください。』とお願いしました。

そして、その日から私は母の主宰する気功教室で、
5分間、スピリチュアリズムのお話をするチャンスをもらいました。

そして江原啓之さんの講座、講演会には必ず足を運び、8年間学びを積み重ねながら試行錯誤の中始めたスピリチュアルカウンセリングは口コミでどんどん広がり、スピリチュアリズムを伝えるためのセミナーでは、毎回たくさんのお客さまがいらっしゃるようになりました。

 

 

 

しかし、この活動のリスクは私にとって想像以上に大きなものでした。

カウンセリングやセミナーで使うエネルギーは私にとって大きく、その後体調を崩したり、熱を出すこともしょっちゅう。

また、スピリチュアルなものを求める人の多くは、オーラや前世、守護霊に興味はあるものの、一番向き合わなければならない問題の根本原因や生き方のお話になると、どうも耳を塞いでしまう方が少なくありませんでした。

 

この仕事にどれだけの意味があるんだろう。

私が伝えたいのは、生き方なのに。

このまま続けていても、何も意味がないんじゃないか。

 

そんな疑問がしだいに自分の中で大きくなり、2年ほど経ったとき、ひとつの大きな出会いがありました。


 2013年、秋。

私にとって、活動の大きな柱であったスピリチュアリズム。

それを手放すときがきました。

 

>>スピリチュアルやめました。

 

 

スピリチュアルを手放したら、私が今まで活動してきた意味がなくなってしまうかもしれない。

じゃあ私の今までの活動は何だったんだろう。

手放してしまったら、私が存在する価値はなくなってしまうかもしれない――。

 

しかし、私は、手放す決意をしました。

なぜなら、その先の景色を観たかったから。


すると、スピリチュアリズムを手放してから、私に起きる出来事があれよあれよという間に変化していきました。

頭打ちになっていた仕事は大きく飛躍し、

今ではたくさんの人たちにメッセージを届ける場をいただいています。

そして、今まで気づかないうちに入っていた力が抜けて、楽しく、幸せに今の仕事の道をひらいている自分がいます。

 

そしてなにより、今、目の前にいる大切な人たちと豊かな時間を共有することで、女性としての喜びはもちろん、ビジネスと両立させた在り方を実現することができています。

 

自分を大切にするからこそ、周りも大切にすることができる。

 

試行錯誤することは悪いことではありません。

 

その先には、必ず豊かさがあるから。

 

私が体験してきたことをシェアすることで、豊かに活きる女性たちが増えていったら。

 

こんなにうれしいことはありません。

 

  『女性としての喜び』を大切にし、自分もそして周りも豊かになる生き方を実現できる女性たちが増えていくことを心から願っています。

 

 

 今までの、そしてこれからの出会いに感謝を込めて。

 

 


ファンジョイアカデミ― 小林真純

 

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